トレーナーとして独立開業して鼻をへし折られた話 進撃のモアイ創業物語vol.2
前回のおさらい
独立起業するには準備が大事。(と、たけやん道場で習った。)
生活するために最低限必要なお金はいくらなのか計算をすること
そしてそれを稼げるように準備しておくこと。
僕の場合はそれが20万円だった。
前回の内容はこちら
独立した月の売上がサラリーマン時代の給与を超えていた。
正直な話をすると1年目で目標金額を超えた。
だってマーケティングは徹底してやって来たし、トレーナーとしても他の人との差別化もできる。
営業だって苦手じゃないから飛び込み営業あっていくらでもやる。
プレゼンテーションも得意だ。その結果、売上が大台を超えた。
今まで手にしたことのないお金にウハウハだった。
買えなかったものが買える。
食べたかったけど我慢していたものが食べれる。
お金があるって幸せ!!
・・・でもある時、気づいたのです。
あれ。。。俺はパーソナルトレーナーをするために独立したんじゃない。
売上を上げまくって金持ちになりたくて辞めたんじゃない。
やりたいことがあったのに・・・
知らない間に時間だけが過ぎていっている。
なぜやらないのだ・・・
学生の夢を応援を本気でしたいんじゃないのか?
本気で夢を語る学生の背中をどんと押すんじゃないのか?
独立して1年が経とうとした時に心のどこかで引っかかってたことが顕在化した。
お前、もう一回就職しろ!
そんな時に恩師で元上司の福永さん(顔と身長が僕と同じくらいのサイズ、つまりデカイ。5頭身 笑)と外苑前の和民で飲んでいました。
なぜ和民なのか、なぜ外苑前なのかは思い出せませんが・・・
福永さんはストレッチポールの会社であるLPNの元社長。
大学生の僕をうちの会社に来ないかと口説いてくれて入社させてくれた大恩人。
現在はフラップスプラン株式会社の社長です。
飲んでいて、『学生の夢の支援をしたい』というような話をしたんだと思う。
マネタイズの方法はわからんし、その分野の知識もない。
何かしらのアドバイスをもらえたらと思ったのに
キレ気味に『お前、もう一回就職しろ!』と言われました。
知識もない。経験もない。ビジネスモデルもあやふや。
勝算がない。やめておけ。
先輩経営者であり大恩人であり元上司である人の言葉は重かった。
泣きそうになった。
いや半泣きだったかもしれないし、涙が出ていたかもしれない。
売上が上がって調子に乗っていた天狗の僕の鼻を見事にへし折ってくれました。
『もう一回就職しろ。そしてその業界の相場を知れ。ノウハウを持て。
経験を積め。じゃないと勝負にならん。』
『それか、泥水すするような思いで頭下げて勉強させてもらえ。』
その日はどうやって帰ったかは覚えていない。
もう一度、就職しろと言われたのが衝撃すぎて・・・
※今の自分が福永さんの立場なら同じように就職を勧めると思う。
例えばハンバーグ屋さんで独立したいのに、ハンバーグを作ったことがないのは致命的。
100パーセント失敗するわけではないけれど、成功確率は1パーセントとか。
ならまずは1パーセントを10パーセントにするために学べ!と言うと思う。
業界研究の日々
福永さんの言葉通り、近い業態の会社に行って勉強を繰り返した。
(自分でも思うけれどこの辺が素直)
週に2、3回いろんな会社に行って勉強させてもらって、会社名を伏せて営業を受けて情報を収集した。
この間、パーソナルトレーナーの仕事や大学での仕事もやっているので分単位で駆けずり回っていた。
そんなことを3、4ヶ月続けていると少しマネタイズの道が見えて来た。
自分のやりたかったことを事業化できそうな兆しが見えてきたんだ。
そんな時に福永さんから連絡が。
『わっきー、こんなイベントあるぞ!』
他の業界で僕のしたかったことに似ているイベント。
比較的簡単に運営できそうだ!ということで企画を一緒にしてもらった。
それが『第一回トレーナードラフト会議』だ。
トレーナー関係の企業さんとトレーナーを志す企業さんが集まるイベントだ。
HPを作成し、チラシを作ってもらった。
名刺もそれ用に作り直した。
この事業を本気でやろうと思った。
全てをかけてもいいと思った。
だからパーソナルトレーナーを辞めた。笑
全ての仕事を断った。もちろん売り上げはゼロ。
全てを賭けてトレドラで勝負しようと決めた。
さて。脇坂に勝算はあるのか!?
つづく。
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